明徳義塾中学校・高等学校 吉田圭一さまに、志で結ばれ、今も歴史を刻み続けています。

お客さまの声

明徳義塾中学校・高等学校  男子寮「種智院」・研修会館

明徳義塾 吉田圭一氏
志で結ばれ、共に歴史を刻んできました

【お客さま】
吉田 圭一さま
[よしだ けいいち]
明徳義塾中学校・高等学校 校長

【明徳義塾中学校・高等学校】
昭和48年・明徳中学校開校、昭和51年に高等部を開校。全国でも数少ない中高一貫(男女共学)の「寮制度」、全生徒が文化・スポーツ活動に参加する「全員クラブ制度」が特色。国際交流を重視。

各国の学校と姉妹校提携を結んでいる。高校野球の常連チームとしてや、プロゴルファーの松山英樹さん・横峯さくらさんや、俳優の高知東生さんなどの母校としても知られる。

研修会館

ミタニ建設さんとは古いおつきあいだとか。

吉田さま:ここ須崎の地に学校を立てようと決めた時、校舎を建てる費用が捻出できません。そんな時、春野町の弘岡にある小学校を建て直す話を聞きつけ、私の父・先代の校長である吉田幸雄と私は弘岡で「明徳塾」という名で塾を開いていましたので、その生徒さんや親御さんにも手伝っていただきながら、小学校を解体し、この地に運び、組み立てました。中には大工さんもいましたが、ほとんどが素人の集団です。

そうなんですか!?想像もつきませんが。理想の学校を作りたいという志が、そのエピソードだけで伝わります。

吉田さま:今の建築基準では不可能でしょう。昭和48年のことですから。母に「ご近所に貴方のことを気違いと言われます。」と言われた父は「俺が気違いなら、他は間違いじゃ!」と言い返していました。
学校を創立後も継ぎ足し継ぎ足しで校舎や寮を建てました。ミタニ建設さんとの出会いは、山壁がきっかけです。素人が施した山壁の補強に、少しヒビが入ってきました。その上には寮が建っています。「これは専門家に見てもらったほうがいい。」とアドバイスを受け、紹介されたのが、ミタニ建設さんでした。今の社長の祖父さまです。
「すぐに修繕しないと大変なことになる!」と即答されました。
ただ、建設費用が捻出できません。その事情を相談し、今までの経緯を説明すると、「お金はすぐに支払うにようびません。なんとかしましょう!」と直ちに工事にとりかかってくれました。

志が伝わったのでしょうね。

吉田さま:未来の子供達の為にぜひ頑張ってほしいと、励まされました。
ミタニさんも創業間もない時期でしたので、一緒に高知を盛り上げていこう、という気持ちがあったのかもしれません。寮や学習施設、プールなどの建設や細かい修繕などまで、本当にお世話になっており、現社長・剛平さんの代になっても変わらないどころか、今までの積み重ねもあり、いろいろなアドバイスをいただいたり、こちらも気軽に注文をつけたりしています。ミタニさんには足を向けて眼れません。

男子寮「種智院」

ミタニ建設工業より

吉田前・現、お二人の校長が志す理想の学校教育と、それをなんとかして実現しようとする実行力に、祖父も感銘を受けたのだと思います。祖父も、当時足摺スカイラインの工事を受注した時、窪川まで汽車に乗り、そこから自転車で現場へ出向いたという根性のあるエピソードを持っています。そういった先人の底力があってこそ、自分たちがここに在る、と、吉田校長に会うたびに新たな気持ちにさせられます。

吉田圭一氏と三谷剛平社長

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